| |  | Re:地獄の黙示録と関連書籍 カズ山 【2007/09/24 16:21:54】[削除] すろ@こたつさん、はじめまして。書き込みありがとうございます!
立花隆氏の著書は未読でしたが面白そうですね。いつか読んでみたいと思います。
さて「何故、今なのか」ということを書かれています。
それについては1979年の「地獄の黙示録」オリジナル版がどのようなものであったかを振り返らないとよくわからないかもしれません。
「地獄の黙示録」はコンラッドの「闇の奥」を下敷きにした物語ですが、「特別完全版」をご覧になれば、ホメロスの「オデッセイア」やダンテの「神曲」を連想されたと思います。
「地獄の黙示録」はウィラードがカーツ大佐を暗殺する物語ですが、構造的には旅をしながら戦争の様々な局面を見て巡る物語で、まさにこれは「神曲」の地獄篇です。
ただ、1979年版ではそういう印象は極めて薄いです。なぜならば「特別篇」203分に対してオリジナルは153分しかありません(いや映画としては充分長いですが…)
オリジナルでは盛り込まれているエピソードはぐっと少なくて、キルゴア中佐のヘリボーン作戦中心の前半と、カーツの王国に至る川上りの後半エピソードの、ほとんど二部構成的な印象を受けます。
さすがにこれでは「旅構造」の印象は薄く、様々なエピソード(そのどれもが矛盾をはらんでいる)が語られて見えてくる「戦争の狂気」というテーマはぼんやりとして、映画として難解でした。
「特別篇」ではオリジナルでカットされた多数のエピソードを含めることで、戦争の本質を多面的に描き、テーマが明確になりました。
ですから「どこが特別なんだろう?」という印象を持たれたのは極めて自然なんだと思います。
逆に我々、オリジナル版の「何が語られてるのかよくわからない」かんじに悶々としていた者にとっては「特別篇」は「目からウロコ」だったんです。でもそもそもオリジナル版は「わかるようにできてない」んだと思いますけれど…
察するに、当時の状況では「153分でも長すぎる」「エピソードをうまく説明するフッテージが足りない」「テーマが抽象的すぎる」等の理由から、観客に受け入れられないと判断してコッポラはエピソードを切ったんだと思います。
いま同じことが受け入れられる状況になったのは、時代を経て観客のほうが変わったんだろうなと思っています。
これだけでは「何故、今」という問いかけに答えるには不充分かもしれません。
ベトナム戦争の時代は東西の二大陣営がにらみ合う自由主義と共産主義の戦いの時代でした。アメリカがベトナムに介入した大義は「共産主義の侵略から人民を解放するため」というものでした。
しかし実際の戦場に目を向けてみると、映画と同じくそこには大義とはまったく関係のない矛盾した事態が展開されていたわけです。アメリカ式の自由思想を持ってベトナムの現実に関わる事には無理がありました。
アメリカ兵は見えない敵に脅かされ、ならばと空爆という戦法に出るわけですが、結局は撤退してしまいます。
しかし現在、アメリカはまたテロリズムという見えない敵と戦う道を選んでしまいました。見えない敵から兵士の安全を確保するため、戦闘はロボット化されましたが思想のゴリ押しは相変わらずです。「テロとの戦い」という大義には大いに裏もあります。
「地獄の黙示録 特別完全版」は「戦争の大義なんて建前だけの嘘っぱちだ」ということを、あらためていま世に問う映画だったんではないでしょうか。
エレノア・コッポラのドキュメンタリー映画「ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録」は「なぜオリジナル版はあんなふうだったのか?」についてよくわかる映画です。もし未見でしたらおすすめします。撮影現場の想像を絶するめちゃめちゃさが面白いですよ。 |